CHAPTER 20 疲れたので近くを散歩(ロス滞在 17日目)



DATE
03/04/09(水)

PLACE:家周辺


水曜日午前10時位

 さすがに昨日までの大旅行の疲れで、寝坊。でも、体調はすこぶる良い。

 で、食事を取ろうとしたときに、たまたまラッセルのバンド仲間二人(少し小太りの方とやせている方)が遊びに来ており、キッチンでラッセルに朝食(ほとんどブランチだが)に誘われました。せっかくだからと言うことで、前述の二人と一緒に四人でラッセル号で近くのファミレスへ。

 入ると、日本式のテーブルでオーダー注文するタイプではなく、相変わらず番号紙との交換制。で、カウンターで注文。とにかく今までの教訓で、

“安いやつを注文するべし!。安ければとりあえず量が少ないはずだから”

 と言うわけで、ラッセルから説明を受けた“バー”(これは日本でもあるが、ここではバーは一つの料理。定額払うと、いくらでもバーの料理(肉、サラダ、デザート等)を食べられる)はやめて、一番わかりやすいし安い、“チーズバーガー”を注文。ちなみにここでは飲み物は必ず付いてくるので、ペプシを選んだ。

 さて、一通り、メニューの物が到着したのだが、ここでも目が丸くなった。

“これ........本当にチーズバーガー?”

 でかかったのである。それもマックとは比較にならないようなゴージャスでビッグなチーズバーガー。ついでに追い打ちをかけるように、大盛りのフレンチフライド(日本のポテト。英語圏ではフレンチフライドと言う)。

 もう、死ぬ気になって、本気で必死になって食べました。それでも、チーズバーガーを完食するのが精一杯。

 それとテーブルにいた時に、バンド仲間のやせている方と簡単な話をしていたのだが、どーもいまいち通じない部分があり、結局、

I need to study English more,more,more,more…

(私は英語をもっと、もっと、もっと勉強しなければいけないですね)

 と半ば本気で言ったのが受けて笑っていました。笑い事ではないよぅ。

 が、問題は青ざめて帰ってきた後、速攻でレストルームへ。結局、腹をこわしただけの食事だった。かなしー!。それでもバンド仲間とラッセルには

Thanks!”

 ってお礼は言いましたよ。

 さてその後、家の周辺を散歩。そのときに撮影した写真がこれら(写真64〜67)。

写真64 家周辺−スーパーRalfs


写真65 スクールバス


写真66 家の前の並木道


写真67 公衆電話


 以上です。特に変わったことはなし。

 明日はついに、“帰国”。寂しい気持ちもあるが、とりあえず身支度を始めた。本当に詰め込んだ感じであった。それほど大きなおみやげや買った物が無かったのが幸いだった。


PLACE:家

水曜日午後9時位

 本来なら、居候の身だから、毎日弟の夕飯を作っていて当たり前なのだが、弟の帰宅時間との関係でほとんど作っていなかったが、今日は時間を合わせて、夕飯を作った。昨日買っておいた食材で作ることにした。とりあえず米を炊いて、以下の物をおかずとして作った。

“牛肉のしょうゆ味付けの焼き肉”

“電子レンジで作ったベイクドポテトをつぶしてごま油で焦げ目を作ったポテト”

“清が帰宅時に焼いてもらった野菜炒め”

 お肉が美味しかったことと、結構バランスが良かったせいか、弟にも好評でうれしかった。

食後、ラッセルやスコットと雑談(主に通訳は弟にやってもらった。まだ英語で雑談できる段階ではなかったので)。そこで、いろいろ教わりました。特に日本人には難しい“l rの発音の違い”。これは中学時代でもよくやっていたと思うが、やはり難しい事の一つだそうです。

 それとスコットからは、

“僕の講義のあるUCLAの生徒にならない?”(つまり留学?)

“ここのルームメイトにならない?”

 と言われて、返答に困ったが、まあここら辺はお茶を濁す。出来るならなってみたいが...。少なくとも今の英語力と年齢(実はここら辺はUCLAに50歳のおじさんが生徒で来ていることからもあんまり問わないようであるが)と資金ではねえ。

 その後、これまでのお金関係の精算をしました。弟にも

“18日間でたったこれだけで過ごせるあんたが、ある意味凄い!”

 と言わしめた位、全然かかっていない。勿論光熱費をのぞいたら、ホテル代はラスベガス以外、かかっていないわけで、確かに安く上がるであろう事は予想していたが、びっくりする位の金額であった。

“旅費を含めると、約1200$(約15万円)”

 比較のため、母がロス旅行でかかった全費用は、JALのパック旅行で当時30万以上であるから、半額以下......。

いかに滞在中、あっちゃこっちゃ出かけていなかったり、外食していないか、であるが、最初の一週間(体調が悪かったとしても)がいかに不毛だったか、そのほかの家に時間が無駄だったかの現れである。国際運転免許状を持っていなかったとしても、これはちと......(自分で言うのも何だが)。

CHAPTER 21 ついに帰国(涙)(ロス滞在 18日目)



DATE03/04/10(木)

PLACE:家


水曜日午前6時位

 今日はついにロス滞在最終日であるが、フライト時間が10時なので、大体3時間前の到着だから、これ位に起きないとだめだったので、二人とも起きた。

 食事はLAXで取れるのでとりあえず荷物を積んで、挨拶をした。ラッセルさんと握手して、(お約束の?)抱き合った。このとき何となく、TV番組の“ウルルン滞在記”で最後に泣きじゃくる滞在者の気持ちが分かった気がした。言葉が“Thank you…”しか浮かんでこなかった。

これで、よっぽどの機会がない限り、この家には来られない(この家は売られてしまうので、彼らはまた新しい家に引っ越ししなければいけないので、本当に家に関してはこれでさよなら)。

 で、出発、感慨深かった。たった18日間ではあったが、いろいろな貴重な体験のできた、すばらしい旅行だった、って、まだ終わっていない!。帰路フライトがある!。


PLACELAX

水曜日午前8時位

 LAXに到着し、とにかくチェックをして、旅券をもらった、が、早かったせいか、行ったときはまだカウンターが開いてなかった。

 その後、やっぱりまだ準備中で、少し待ったら開いた前述の“Hamada”で“サンサイソバ”(山菜そば)を食べた。今度はさすがに自分で頼んだのだが、ここでも未だまともな注文ができず、弟にフォローしてもらった。いったいこの18日間の英語学習は何だったのだろうか?。

 で、午前9時頃に出国カウンターへ。ここで、弟とさよなら。彼はいろいろと日本の本店へ出張しているのか、以外とドライなのか、本当に、“お荷物”がやっとこ帰ったと思ったとか、意外とあっさり。私もあっさり。まあ、野郎同士の別れなんて、こんな物なのだろう。その後、また遅れたヴァリグブラジル航空のカウンターに、罵声を浴びせている、日本の恥さらしのオヤジにむかつきながらも、開始されたら搭乗し、一路日本へ。


PLACE:ヴァリグブラジル航空の機内

 ひまだ.....暇だ.......暇だ.....暇(以下略)、ほんとーーーーーーーに暇だ。昼間のフライトだから、1時間位しか寝られず、10時間のフライトは本当に暇だった。特に読む本も持ってきてなく、ただ機内食を食べていた、が、所用の質問があったので、ツアーで来ていた隣の老夫婦のおばさんに訊いたら、仲良くなりどこから帰ってきているツアーかを訊いたら、驚き!!!。息子さんが向こうに在住しているとはいえ、

“24日間の南米ツアーで、ブラジルからロス経由で今帰っているところですよ“

 ぐ!!!!!、私の18日間のロス旅行(滞在)なんて、まだまだ子供!。こんな老夫婦ですら、あのブラジルから帰っているのである。世界は広い.....。ついでに名古屋の方なので、成田到着後も名古屋への便へ乗り換えるのだ!。恐るべし...。


PLACE:成田空港


日本時間の金曜日(11日)午後1:56着(時差の関係)

 ついに帰ってきてしまった...。到着後すぐ弟に到着の電話して、その後、成田エクスプレスで帰宅。さすがにここへ来てどっっっっっっと、疲れが出て、帰宅後ベッドに倒れた。本当は感じちゃいけないのかもしれないが、

“やっとこ日常で英語しかだめの生活が終わった”

 懲りない私である。これからの生活では、とにかく英語に接する機会を多めにしないと英語はすぐに忘れる、と言うのに。



(エピローグ)


もう教訓だけでよいだろう。

1)英語の基礎学習は絶対に必要である。少なくとも中学、高校レベルは必須。

2)英語に関して言えば、毎日最低10分は英語だけの時間を作らないと、忘れるし、使えなくなる。

3)実践英語は、“度胸”と“どうしても使わなければいけない状況”と“恥を恐れるな!”...。

 とりあえず、掘り返せばいろいろぼろの出る旅行なので、これくらいにする。






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